小此木啓吾の中公文庫の『モラトリアム人間の時代』は1981年、『モラトリアム人間を考える』と『日本人の阿闍世コンプレックス』は1982年の刊。
1983年前後のごろよく読んでいた。
科学技術が発達し、スイッチを入れて蛍光灯がすぐにつかないだけでイライラするような人間、「全能の錯覚に生きる現代人」は、実際の社会関係では、挫折を経験するのでもなく、ただ腰掛け的な関係、木枯紋次郎の「あっしには関りのないことでござんす」という関係しか作れなくなったということだと思う。モラトリアムとは、一人前になるまでの猶予期間にある人間という意味。現代人は一生モラトリアムで生きるしかないという自覚が必要になる。(「少年の心を持つ」とか「万年青年」は必ずしも悪いことではない)
1970年代から執筆されたものだと思うが、1980年代前半に広く受け入れられたとすれば、科学技術云々だけでなく、伝統的な地域社会の崩壊や、自民党単独過半数割れなどの「ポスト戦後社会」の大きな時代の転換点だったのではないかと思う。
バブル経済へ向かう過程での警鐘というのでなく、既に時代は転換したということ。バブル経済は崩潰したことが問題なのではなく、バブル経済自体が戦後的なものを最終的に崩潰させたにすぎない。
アイデンティティという言葉を、この本で知ったのか、それとももっと後のような気もするが、記憶がはっきりしない。
2017年12月14日木曜日
2017年12月9日土曜日
ヘーゲルの『小論理学』
岩波文庫版のヘーゲルの『小論理学』(松村一人訳)は、1978年刊行。これはAmazonから取りこんだデータなので蔵書を確認すると、やはり1978年で、9月18日第29版改版発行とある。改版とはたぶん旧漢字から新字に改めたことをいうのだろう。新刊で読んだ。
内容は、次のような感じだったか(間違っているかもしれないが)
有とは、ただ有るのであり、何かが有るのでは無いので、無のことである。無とは無いことだが、無いことすら無いのだから、有と同じ? というより有と無とは統一されたものであり、もはや別の物、成ということであって、思想のことである・・・
すぐ後に、河出書房版「世界の大思想」のうちの『エンチュクロペディ』を入手し、この論理学の次の『自然哲学』『精神哲学』を読もうと思ったが、『自然哲学』は自然や宇宙の現象を哲学用語で叙述するという実に変った内容だった。途中まで読んだ。
哲学書は、著書や著者やその人生などを評価不評価するために読むのではなく、自身の思考の鍛錬のために読むということで良い。
内容は、次のような感じだったか(間違っているかもしれないが)
有とは、ただ有るのであり、何かが有るのでは無いので、無のことである。無とは無いことだが、無いことすら無いのだから、有と同じ? というより有と無とは統一されたものであり、もはや別の物、成ということであって、思想のことである・・・
すぐ後に、河出書房版「世界の大思想」のうちの『エンチュクロペディ』を入手し、この論理学の次の『自然哲学』『精神哲学』を読もうと思ったが、『自然哲学』は自然や宇宙の現象を哲学用語で叙述するという実に変った内容だった。途中まで読んだ。
哲学書は、著書や著者やその人生などを評価不評価するために読むのではなく、自身の思考の鍛錬のために読むということで良い。
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